シンママのでこぼこ兄弟
障害のこと

子供の障害を受け入れること〜親の障害受容について〜

私が自閉症を受け入れるまで〜親の障害受容〜

でこぼこ長男は、知的障害あり自閉症スペクトラムです。

長男が自閉症であるかもしれない、という気持ちから、療育を始め、医師による診断を受けましたが、私自身が長男を受け入れるまでとても時間がかかりました

障害の程度や症状はそれぞれ違うため、医師や先生も確定的なことはなかなか断言されません。

治すことができない」という事実と「これから先のこと」を考えると、その気持ちに区切りをつけるまでに時間がかかりました。

そんな自閉症の子を持つ親の障害受容について、経験談を元に、説明していきます。

障害受容の流れ

障害受容については、世界中で研究がされており、様々な説が挙げられています。
一般的な説をご紹介します。
(国立精神・神経センター精神保健研究所の「親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀」を引用及び参考にしております)

障害受容には「段階説」「慢性的悲哀」のふたつの見解がある

段階説

段階説①(5段階)(ドローター/1975年)

障害受容に至るために 5 つの段階を経るというもの。

  1. ショック
  2. 否認
  3. 悲しみと怒り
  4. 適応
  5. 再起
段階説②(8段階)(鑪/1963)

障害受容に至るために 8つの段階を経るというもの。

  1. 子どもが精神薄弱児であることの認知過程
  2. 盲目的に行われる無駄な骨折り
  3. 苦悩的体験の過程
  4. 同じ精神薄弱児をもつ親の発見
  5. 精神薄弱児への見通しと本格的努力
  6. 努力や苦悩を支える夫婦・家族の協力
  7. 努力を通して親自身の人間的な成長を子どもに感謝する段階
  8. 親自身の人間的成長、精神薄弱児に関する取扱いなどを啓蒙する社会活動の段階

段階説では、障害告知による保護者のショックや否認、悲しみなどの感情は自然なもので、混乱している状態は決して病的なものではないということを示しています。


そして、段階を登っていくのは個人差があり、短時間で障害を受け入れることができる親もいれば、悲しみの段階に時間をかける親もいるということが分かります。

慢性的悲哀

障害児の親の慢性的悲哀(オーシャンスキー/1962年)

障害児の親が子どもの障害を知った後に絶え間なく悲しみ続けている状態のこと。

子どもが一般に歩き始める時期や言葉が出る時期また進学する時期など発達の節目に悲哀が再起する。慢性的悲哀は、常に悲哀の状態にあるのではなく、健常児では当たり前の発達的な事象や社会的な出来事が障害児の家族の悲哀を再燃させるきっかけとして潜在的にあり、そのために周期的な表れかたを示すということである。

子供の障害を受け入れるまで

親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀」の調査では、精神遅滞には大きく、病理型なもの(ダウン症や小頭症など病理型の精神遅滞)と自閉的なもの及びそれ以外があると言われています。

それぞれの傾向について挙げていきます。

病理的な場合の傾向

突然宣告される。医師による突然の宣告は事前に心の準備をすることもできず、大きなショックを受けることになる。
つまり、ドローターの段階説のようなショックから始まる。

自閉的な場合の傾向

診断の確定が困難で状態が理解しにくい疾患の場合、わが子の状態が一時的なものではなく将来にも及ぶことを認めるために、親は子どもの発達がいつか正常に追いつくのではないか、あるいは自閉が「治る」のではないかという期待を捨てることが必要となる。それまでは、親は否定と肯定の入り交じった感情の繰り返しを経験せざるをえない。これは、いわば親にとって慢性的なジレンマの状態といえる(Willner et al. 1979、Murphy 1982)

長男は自閉的な精神遅滞に該当します。
今思い返すと、自閉症が「治るのではないか?」という期待を捨てるために、数年前まで慢性的なジレンマの状態になっていたのだと思います。


次に、私自身が経験した慢性的なジレンマの状態ついて、具体的に説明していきます。

私の障害受容について

私が長男の障害を疑い出してから、現在に至るまでの感情について考えてみたところ、5つのフェーズがあるように感じました。

第一フェーズ:「疑い」「否定」

発達に違和感を感じてから相談するまでの1歳半ごろまでの感情です。

障害について、ネットや書籍などから知識を持ち始めますが、自閉症の可能性を否定したり疑ったりしながら、日々を過ごしていました

第二フェーズ:「疑い」「否定」「希望」「困惑」

第一フェーズに引き続き、疑いや否定をしながらも、相談から療育へ繋げることができ、少しだけ希望を感じることができた2歳〜3歳ごろまでの気持ちです。

ただ、療育園へ通い出した当時、初めて障害のある子供たちと接し、「長男はこの先どうなるのだろうか?」「障害のある子供たちにどのように接したらいいのだろうか?」という不安や迷いを抱えていました。

第三フェーズ:「悲観」「将来への不安」「諦め」

次男を出産し、睡眠障害にワンオペで対応していた3歳〜4歳ごろです。

長男の「睡眠障害」が私にとって一番辛かったです。
「自分が面倒を見ないと、誰が見るんだ」
「いつまで続くの?いつ解放されるの?」
「なんでできないのだろうか?伝わらないのだろうか?」
「どうしたらいいかわからない」
この頃の私は、常にこんな気持ちに支配されていました。

めかぶ
めかぶ
当時、長男の療育園で保護者会があり、自己紹介で「子供のいいところ」を話す機会がありました。
私は長男のいいところが思い浮かばず、保護者の前で思わず涙が止まらなくなりました。
「親なのに子供のいいところも言えない…」そんな自分に絶望しました。

第四フェーズ:「頼る」「吐き出す」「将来への不安」「諦め」

現状は変わらない、その現実を受け入れ、前に進もうとしはじめた4歳〜5歳です。

周りに同じような状況の人がなかなかおらず、目の前が真っ暗だった時期に、私はSNSで同じ境遇の方を探しました。特に夜間覚醒で夜中に起きた時、SNSを見ると同じように寝れていない人がいて、とても心強かったのです。同情されたいわけではなく、同じ境遇の人と悩みを共感したかったのだと思います。

また、コロナ禍の外出制限などをきっかけに、私の限界が来てしまい、「辛い」という気持ちを家族や知人に伝えることができるようになっていました。

ただ、どれだけ話をすることができても、現実は変わらない…という気持ちもまだ残っていました。感情は何度も行ったり来たりしながら、自分の人生も、長男の人生も「諦めた方がいいのか?」「期待しない方がいいのか?」と、自問自答しては先生や知人に相談していました。

第五フェーズ:「成長を感じる」「調べる」「ありのままを見る」

5歳〜6歳にかけて、長男の小さな成長を感じ始めました。
こちらから促すことなく、「トイレに行きたいと訴えてくる」「トイレのスリッパは綺麗に揃えて出る」「手遊びをする」など、療育で先生方が毎日毎日丁寧に指導してくれたその積み重ねで、できることが増えていました

そんな小さな成長に気づくことで、長男に対して「きっとできるようになる」と、思うことができるようになりました。
長男の今のありのままの姿を認めることができるようになったのです。

将来の不安に対しては、「グループホームや施設入所のこと」や「自立のために何をしたらいいか」など、少しずつ調べるようにして、分からないことへの不安を消していくようにしています。

大きな期待を手放し、長男の将来の幸せのために今何ができるだろうか?ということを具体的に考えるようになりました。

3歳から2年間が一番キツかった

長男の療育園の先生に「3歳から2年間が一番大変です」と言われたことがありました。
当時は2歳。当時は、「これ以上に大変になるの!?」と思いましたが、先生の想定通り3歳から5歳までがめちゃめちゃしんどかったです。

療育園の先生

通常の育児でも、イヤイヤ期の3歳から2年間は大変。
自閉症の子は、通常の育児の何倍も大変なんです。だから、”うまくいかなくて当たり前”ですよ!

「なんでうまくいかないんだろう?」
私はずっと思っていました。
分からないことだらけの自閉症育児は、”うまくいかなくて当たり前”です。

うまくいかない日々を長男のせいにしたくはなかったけれど、長男の気持ちを全て理解することも、癇癪を止めることも、睡眠をコントロールすることも私にはできません。

しかし、長男のさまざまな困難さに対して、「こうなのかな?」と考えることはできます。

家族や先生のサポートを受けながら、「一緒に考え続けて寄り添っていくしかない」と覚悟を決めました。

傷つきながら前に進んでいくしかない

なるべく他人の言葉に傷つきたくないですが、当事者じゃないと理解できないことが多く、どんな言葉も薄っぺらく聞こえてくる時期があります

そして、悩んでいる時期に言われた言葉って忘れられないんですよね。
本人に悪気はないんですが、どうしても心に引っかかって残ってしまう言葉があります。

「がんばって!」(何を頑張ったらいいんだろうか)
「自閉症じゃなかったらいいね!」(自閉症だったらだめなの?)
「選ばれたんだよ」(選んで欲しいわけがないのに)
「みんなそうだよ」(ほんとうに?周りでそういう人はいない気が)
「個性だからね」(こんなに困難なのに個性なの?受け止めなきゃいけないの?)

こんなことが頭の中で駆け巡って寝れない日もありました。

正直、周りは悪くないです。
みんな私を励まそうと言葉を探したのだと思います。

周囲の言葉や表情、視線などに傷つきながらでも、子供と一緒に少しずつ前に進んで、親自身も強くさせられたな…と思うことができるようになりました。

乗り越えなくていい、とにかく吐き出す!

子供の障害に対する自分の中の嫌な気持ちは、無理に乗り越えようとしなくていいと私は思っています。

自然と時が来たら、私のように急に気持ちが前向きになるかもしれない。

今の私も、分からないことだらけで不安です。
大変な育児をしているんだから、分からないことは怖いから不安になります。

考えても分からないけど考えが止まらない時は、ぜひ吐き出してほしいです。
SNSでも友人でも先生でも、吐き出してみると少しスッキリします。

周りの人が、子供に笑顔で接してくれるだけで救われる!

私は、「辛い、なんでうまくいかないんだろう?」と日々悩んでいる保護者に対して、周囲の人からの励ましの言葉は特にいらないんじゃないかと思っています。

毎日家族の将来を考えて、悲観していたころ、「ただ話を聞いてくれる人」「何かあったときにサポートをしてくれる人」がいることでかなりリフレッシュできました。

何より長男に対して、笑顔で接してくれる人がいるだけで、私はとても支えられました

めかぶ

私が悲しみに暮れていても、長男に優しさを向けれない時でも、長男のことを想ってくれて、笑顔で接してくれる人はいるんだ…

まとめ

障害を受容する過程のショックや悲しみは自然なことです。
また、その悲しみを受け入れるようになるまでの期間は人によって全く異なります。

私の場合は5年かかりました。
そして、きっとこれからも否定と肯定の入り交じった感情を繰り返していくのだと思います。

障害受容の過程で、たくさん傷つくことも苦しいこともありました。
同時に、長男や私を支えてくる方のたくさんの優しさに触れたり、気づくことができ、感謝することができるようになりました。

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